
「おかあちゃん」平元文雄
びわこ学園医療福祉センター野洲へ週1回ボランティア活動に行って、リコーダー演奏や、絵本の読み聞かせをしています。
最近、活動をしている部屋に利用者の一人が移動されてきました。時々ベッドから「おかあちゃん」という声が聞こえます。そのたびに私は、「おかあさん来やはるよ、待っててや」と答えます。
私が仕事現役のころ、「こんな先生になりたい」と思った斎藤先生。その斎藤先生がこんな素敵な文章を書かれています。
せんせい
四月、始めて出会った少女は私に向かって「おとうちゃん」と呼んだ。来る朝も来る朝も、そう呼んだ。その度に、「おとうさんではないよ」と私はこたえた。
少女はしばらくして、「おかあちゃん」と呼び始めた。「どうして、おかあさんなどと呼ぶの」と私はたずねた。五月に入って、少女はもう何もいわなくなった。
せんせいということばをまだ持たない少女は、今持っていることばの中から、自分の思いにいちばん近いものをさがしていたのだと知ったのは、五月も末だった。
ああ、あじさいの花の色が深くなっても、少女は声をあげて私を呼ばない。
私が最初に勤めたのは、湖南市東寺にある落穂寮の施設内学級でした。知的な障害を持つ子どもたちは、自分の家を離れて寮での生活を送っていました。寮には教育棟といって、プレハブの校舎が敷地内にありました。
そこで私は小学部の10人を一人で担任しました。その10人の中にみっちゃんという女の子がいました。名前を呼んだら前髪を掻き上げて「イヤーン」とかわいい声を発する女の子でした。絵を描かせたら、いつもおさげのかわいい女の子を描いていた確か高島郡から入所している女の子でした。
授業参観の日、こんなことがありました。
保護者の方が二人ぐらい教室に入られて、後ろで子どもたちの学習の様子を見始められました。
みっちゃんは急に思い立って、席を立ち窓際のところに行きました。そこからは、坂道をあがってこられるであろうお母さんの姿が見えるのでした。みっちゃんにとっては学習よりもおかあさんのことが気が気でなかったのでしょう。私も席に戻ってとは言いませんでした。私が言ったとしても彼女は学習に集中できないのではと思ったからでした。みっちゃんは1時間その場にい続けました。でも残念ながら、お母さんは来られませんでした。
子どもたちにとっておかあさんの存在はとてつもなく大きい。とその時私は感じ入りました。
今日もサッカーの話ではありませんでした。申し訳ありません。
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藤田コーチ (木曜日, 16 7月 2015 12:38)
私は低学年の選手から、先生と呼ばれて、先生違うよ、と言ったことがありますが、そういう訳だったのですね。確かに、それから、その選手は口を閉ざしてしまいました。
素直に、
はい、なんでしょうか、
と応えてあげればよかったのですね。そのうち、
コーチやで、
と正体を明かす度量が必要だったのですね。
可哀想な事をしました。